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◆二人の手の中

 あまりの眩しさに瞑った目をゆっくり開けると、青空に浮かぶ太陽がまず目に入ってくる。
 少し混乱しながらも意識が覚醒すると、最初に感じた事は……。

「頭が痛い……」

 固い地面の感触だった。
 自身が地面で大の字になって横になっている事を理解すると、ゆっくりと体を起こす。

「一体ここはどこなのよ……」

 辺りを見回すと、見覚えのある神社と鳥居、そして幻想郷を一望する風景。
 何故ここに眠っていたのかはわからないが、どうやら博麗神社らしい。
 宴会で寝ちゃったのかしら……?
 しかし、誰も起こしてくれないのは妙だと思い直しつつ、再び人影を探して辺りを見渡す。
 宴会後とは考えられないゴミひとつ散らばっていない綺麗な神社の境内には、やはり何の人影も無い。 
 いつもなら掃除でもしている筈の神社の主の姿が辺りには見えない。
 常に誰か居るはずの神社もここまで全く人の気配がせずに、静まり返っていると不気味だ

「霊夢ー。いないのー?」

 霊夢の姿を探しつつ母屋の方まで歩いていくが、やはり猫の子一匹見当たらない。
 いつもお茶を飲んでいる縁側にも居ない事を確認していると、視界の隅に人影がチラリと映る。
 とっさに目をやると、庭に植えられている桜の木の下で見慣れたひらひらとフリルが装飾され、ほんのりと紅みがかかった日傘とその日傘から羽根がチョコンと見える。

「あ、レミリア! 神社には誰も居ないし、霊夢も居ないから不安だったのよ」

 ようやく人を見つけた安堵感から、こちらに背中を向けているレミリアに駆け寄る。
 私の声に気づいたのかレミリアは、少し振り返って私の姿を確認すると距離を取るように離れていく。

「ちょ、ちょっと待って! どこ行くのよ!」

 レミリアの後を追いかけると私を拒絶するかのように何も言わずに、自慢の羽根を広げてすぐ飛び去ってしまう。

「私が何をしたって言うのよ……」

 一人で残された境内でポツリと呟く。
 レミリアが飛び去っていった空を見ながら、想い人に避けられた事にショックを隠せないままため息をついた。


      ♪


 意識がふと覚醒する。
 目を開けて辺りを見回すと、人形達がたくさん置かれているいつもの自宅だ。
 唯一つ違う事とすれば何故か椅子に座り、机に突っ伏していて体の節々が痛むという点だけだろう。

「夢……か……」

 窓から差し込んでくる爽やかな朝日は見ていた夢の後味の悪さとは対照的だ。

「こんな体勢で寝ていたら夢見が悪いわけよ……痛ッ!」

 何時までも変な体勢でいるわけにもいかないので、
体を起こして椅子から立ち上がると、頭に痛みが走る。

「あー、そう言えば昨日は神社の宴会に出ていたんだっけ」

 鏡を見ると、髪はボサボサ。
 服にも皺が入っていて普段の自分からは考えられないほどの酷い状態だった。
 昨夜の記憶を遡ろうとしても、宴会途中からの記憶が殆ど無い。
 服装の乱れも鑑みるに記憶が無くなるほどお酒を飲んでしまった事が簡単に予測できる。
 そして、家に帰りつくなり椅子に座って机に突っ伏して、着替える事もせずに寝てしまった。そんな所であろう。
 床に転がって寝ているとか、自宅まで帰らずに外でそのまま寝ていた。とかよりはマシだろうが……。
 特に後者は場所によっては命の危険が付きまとう。想像するだけで恐ろしい。
 普段は全く飲まないので滅多に感じる事の無い痛みに頭を押さえながら、慣れない事はするものじゃないと後悔をする。
 台所に移動して、水を飲んで一息つくと、自分の体がお酒臭い事にようやく気づく。

「まずはお風呂かしらね……」

 お風呂に入り体を清め、服も新しい物に着替えてしまう。
 そのままもう一度寝てしまっても良かったのだが、記憶が無い昨日の顛末がやけに気になるので神社へ出かける準備を整える。
 最も記憶云々の他にも、夢の事が妙に頭に残っているのが一番の理由の一つなのだが。
 家を出る前に一度、鏡を見て身だしなみを整えてから家を出る。
 日が昇ってきて、もう朝日とは呼べなくなってきた日の光を浴びつつ、博麗神社を目指して飛んでいく。
 やがて、目的地が見えてくるとポツンと目立つ赤い点が一つ。
 遠目でもわかる神社の主の元を目指して、少しスピードを上げる。
 霊夢の背格好がわかる所まで来ると、徐々にスピードを落として境内へと着地する。

「あら……アリス」
「こんにちは、霊夢」
「はいはい。こんにちは」

 箒を持って掃除をしていた霊夢は着地の足音に気付き振り返ると、声を漏らす。
 挨拶をしてもマトモな挨拶が返ってこないのはいつもの事。

「結構飲んで潰れてたけど、体の方は大丈夫なの?」
「少し二日酔いで頭が痛い以外は大丈夫よ。しかし、随分と散らかってるわね……」

 辺りを見渡すと、昨夜の宴会の物と思しきゴミがあちこちに散乱している。

「そうよ。そうよ。いつもそうなのよ。宴会をやるのは構わないけど、毎度毎度後片付けもしないで帰る連中ばかりで、どうして場所を提供してる私がこうして毎回片付けなきゃいけない訳よ」
「い、言いたい事はわかったけど、私に噛み付いてこないでくれる?」

 段々と語尾が荒くなる霊夢がちょっと怖い。
 少しでも宥めておかないと理不尽にも御札が一、二枚飛んできそうだ。

「いつもなら私も手伝ったんだけどね」
「全くだわ……アリスは途中で完全に潰れて役に立たないし、庭師は主人の世話があると言ってさっさと帰るし、最後の頼みのメイドは途中でレミリアを追いかけて帰っちゃうし……」
「え? レミリアは途中で帰っちゃったの?」
「アンタ……本当に何も覚えてないの?」

 何故か心底呆れ果てた様な目で見られる。

「途中からの記憶が全く無くて……今日はその事を聞きに来たんだけど」
「あー、やっぱり記憶に残ってないのね……。あれだけ酔ってたら確かにしょうがないか」

 私から目を逸らすと、どこかぼやくかの様に呟く。

「えーと、一体何をしたのか教えてくれると助かるんだけど……」
「それは私の教えられることじゃないわ」

 遠慮しがちに出した提案を霊夢ははっきりと断ってくる。

「ちょっとそれはどういう意味よ」
「どういう意味も、そのままの意味よ。私が言えるのはここまでだから、後は自分で思い出しなさい」

 それだけ言うと、霊夢は掃除を再開し始めた。
 その後、霊夢に何度話しかけても『教えられない』の一点張りで。
途中で話を聞き出すのは諦め、神社を後にする。
 まだ諦めきれない私は、昨夜途中まで一緒にいた記憶のある知り合いの魔女を尋ねることにする。
 博麗神社から紅魔館へと飛ぶと、美鈴の姿が見える頃には太陽は真昼を通り過ごして、少し傾いてしまっていた。
 図書館に行きたいと、いつもの様に美鈴に告げると快く通してくれる。
 紅魔館館内を通り、図書館の扉を開けて、普段通りに本棚を抜けていつものテーブルへ。

「こんにちは。パチュリー」

 テーブルで本を読んでいるパチュリーにそっと声をかけると。

「あぁ、アリス?」

 露骨に嫌そうな表情で出迎えられた。
 余り乗り気ではなさそうなパチュリーだったが、構わず対面に座りこれまでの経緯を説明する。

「と、いう訳で私が何をしたか教えてくれない?」
「貴女ねぇ……」

 事情を説明している間、ずっと呆れたような表情を崩さなかったパチュリーに詰め寄る。
 嫌な顔をしつつも、最後まで話しを聞いてくれるのは流石我が友人、パチュリー。

「どうもうこうも、私もあの巫女と一緒の事しか言えないわよ。そもそも本当に自分で思い出す気があるの?」

 心底呆れたようにパチュリーは深いため息とともにオーバーに肩をすくめて、全身で呆れているという態度を示す。

「そうは言われても思い出せないし、凄く気になるし……どうしても思い出さなきゃいけない気がして
――痛たたたたっ」

 話をしていると、前触れも何も無く頬を引っ張られる。

「何で、頬を急に引っ張る――痛たたたっ! もう離してよ!!」
「いや、なんとなく腹が立ってきたから」

 頬をつまむパチュリーの手を振りほどいて抗議をすると、当の本人はあっけらかんと言い放つ。

「なんとなくって、貴女一体どういうつもりなのかキチンと説明して――」

 パチュリーが指を目の先にまで突き出してきたので思わず、言葉を止めてしまう。

「本当に覚えてないの? 昨日の事をよーく思い出してみなさい」
「いや、全く覚えてないからこうして――」
「それは間違いね。アリスが忘れているつもりでも、脳は記憶している。事実から目を背けちゃダメよ」
「そんな事、ないわよ……」

 パチュリーの気迫に押されて少し自信が無くなってきて怖気づいてしまう。

「私もアリスには甘いわね……ヒントよ。昨日の夜、レミィの事をなんて言ったか覚えてる?」
「え……レミリア……?」

 レミリアの名前が出ると、今朝の夢がフラッシュバックする。
 去って行くレミリアの後姿……あれは確か…………。


      ♪


「こんばんは。パチュリー」

 滅多に来ない博麗神社の宴会。
 外を出歩く事が少なく、図書館に篭りがちな私にとっては話せる相手が多くいる訳など無く、所在無さげにボーっと座って馬鹿騒ぎを眺めていると、誰か物好きが話しかけてくる。

「あ、アリス……」

 物好きこと、同じ魔法使い仲間のアリスが覗き込むように、話しかけてくる。

「こんばんは。アリス。貴女も宴会に参加しているとは意外だわ……」
「パチュリーもね」

 意外な場所での出会いに互いに笑いあう。

「そう言えば、レミィがアリスの事を探してたけど……」
「レミリアも来てるの? って、パチュリーが来てるんだもの、当然よね」
「会いに行かないの?」
「探さなくても、向こうから来るわよ。さて、折角来た宴会なんだからパチュリーも私と一緒に飲みましょう」
「……構わないわ」

 アリスが差し出す手を取り、立ち上がると手を引かれるままに宴の輪の中に混じる。

「それじゃ、まずは一杯」
「あ、ありがとう」

 杯を持たされてると、アリスがお酌をしてくれるらしく杯に向かって徳利を傾けようとすると。

「アリス〜。一緒に飲も〜」

 最悪のタイミングでレミィが後ろから抱きつく。

「あ」

 その衝撃でアリスの手から徳利が滑り落ちる様が、スローモーションで再生される。
 徳利は割れずに地面に転がるも、私の服にこぼれたお酒がかかる。
 服の裾に少しかかってしまったが、そこまで問題は無い。
 少しお酒臭くなってしまうかもしれないけれど、宴会の最中で誰も気付かないだろう。

「あ〜」

 アリスに抱きついたままレミィは転がる徳利を見て、なんともつかない声を上げている。
 ……これは完全に酔ってるわね。

「ちょっと、レミリア。離れてよ!」
「んー。嫌ぁー」

 泥酔気味のレミィがアリスに絡んでいる。
 そんな二人を見ていると、なんだか嫉妬の炎が燃えそうになるが、酔ったレミィに絡まれるよりは些細な事だ。

「じゃ、アリス頑張ってね……」
「ちょ、ちょっと、パチュリー。私を見捨てる気!?」
「流石にこのレミィの相手はしたくないもの。じゃ、そういう事で」
「薄情者ーっ!」

 アリスの非難の声を聞きつつ、二人から離れた。
 アリスとレミィの二人から別れると、すぐに魔理沙に捕まり飲まされる。
 霊夢や魔理沙に絡まれながらも、宴会を楽しんだ。
 宴会もそろそろお開きにしようかという空気が流れ始めると。アリスの事を思い出し様子を見に行ってみる。

「アリスー。ちょっと大丈夫?」
「うー」

 酔いが醒めたらしいレミィが、潰れて倒れるアリスを揺すっている。
 あのままアリスにお酒を勧めて潰したみたいね……。

「ちょっと……レミィ。酔っ払いを揺するのは駄目でしょ」
「だって、アリスが反応してくれないから」
「はいはい。ちょっと退いて。アリス大丈夫?」

 レミィをアリスの傍からどかすと、アリスを抱き起こす。

「うーん、私は大丈夫れぇすよ」
「これは駄目ね……レミィ、アリスに無理に飲ませたでしょう?」
「うーん、確かそんな事をしたような記憶も……」

 レミィの絡み酒はこれだから……。
 レミィとアリス。二人に対する呆れと諦めの混じったため息が思わず出てくる。

「ねぇ、アリス。起きて」
「う、うぅん……」

 肩を軽く叩くと、細く目を開ける。

「大丈夫?」
「大丈夫よぉ」

 微妙に舌足らずながらも、返事をしてくれる。

「レミリアはどこかしら?」
「あぁ、レミィならそこに――」
「レミリアには毎回困らせられるわ」
「うーん。これは相当酔ってるわね……」

 多分、レミィの姿などアリスの視界に入っていないのであろう。
 それにどうあろうと他人の悪口を言うような娘ではないからね。

「だから、我儘で、自分勝手なお嬢様にいつも振り回されてる私も大変なの」
「ちょっと、アリス言い過ぎ。レミィが傍にいるのよ」

 あながち間違ってないけど、と心の中で付け足す。

「さっきだってそうよぉ。抱きついて来た所為でお酒零しちゃってパチュリーに掛かっちゃうし……」
「その事は気にしてないから。それ以上は……」

 と、言いかけた所で背後から羽根音がする。
 振り向くとレミィが今まさに飛び立とうとしている。

「ちょっと、レミィどこに行くの?」
「……帰る」

 こちらに顔を向けずにポツリと呟く。

「まさか、酔っ払いの戯言を気にしてるんじゃないでしょうね? そもそも貴女が潰したアリスを放っておく気?」

 私の質問には答えずに、黙って空に飛び立って去っていく。
 全く……レミィは変な所で繊細なんだから……。

「酔っ払いの戯言とは何よー。本当のことでしょー!」
「はいはい、わかったからアリスも落ち着きなさい」

 非難の声を上げるアリスを黙らせる。

「全くパチュリーは人を馬鹿にして――」
「ん? アリス? どうしたの?」

 途中で言葉を切って静かになったアリスの顔を覗き込むと、静かに寝息を立てている。

「寝ちゃったか……はぁ……」

 騒ぐだけ騒いで、気が済んだら寝る。アリスも他人の事言えないじゃない。
 そう思いため息をつきながらも、アリスを膝に乗せてしばらく寝かせてあげる。
 しばらくそのままの状態でいると少し寝苦しいのか、アリスが声を上げ始める。

「うぅぅん……」

 アリスの目がパッチリと開かれる。

「あ、パチュリー」
「おはようアリス。目を覚ました?」

「うん……レミリアは? さっきまで一緒になって飲んでた筈なんだけど」
「とっくに帰ったわよ」

 あれだけ大騒ぎしていたのに記憶が無いらしい。
 ……仕方がない気もするけど。

「そう……じゃ、私も帰ろうかしら」
「ちょっと、大丈夫なの!?」

 フラフラと立ち上がりながら立ち上がろうとして、バランスを崩しそうになるアリスの体を慌てて支える。

「ん……大丈夫よ。多分」
「全然大丈夫じゃないじゃない、家まで送ろうか?」
「本当に大丈夫よ……じゃ、またね。パチュリー」

 アリスは私の申し出を断り、地を蹴って空に浮かび上がる。
 フラフラと頼りなさげながらも、魔法の森の方角へ飛び去るアリスの後姿を少し寂しい思いを抱えつつ見送った。


      ♪


「うぅぅぅん」

 どうやらアリスは全て思い出したらしく頭を抱えている。

「思い出したかしら?」
「うん。全部。ハッキリと」
「わかったでしょう。今日はレミィも人払いをして私にも会ってくれない位だから、
 貴女も今日は一旦帰って少し時間を置いて――ってどこ行く気よ!」

 丁寧に諭していると、アリスは話を聞かずに椅子を立ち上がり図書館を出て行こうとしている。

「ごめんね、パチュリー。今すぐレミリアに謝りに行かないと!」

 それだけ言うと、アリスの姿は見えなくなった。

「行っちゃいましたねぇ……」
「迷わずに行ったわね……って、小悪魔いつからいたの?」
「アリスさんが来たときからずっと本棚の陰に隠れて見てましたけど」
「覗きとは相変わらず趣味が悪いわね」
「小悪魔ですので」
「はぁ……本当に私の周りは手のかかる面子ばかりだわ」
「そうは言っても、最後まで世話をしてあげてましたよね?」
「まぁ、二人とも友人だしね。一応助け舟は出してあげたわ。後は本人達の問題よ」

 そう答えると、小悪魔は少し考えた顔をして、ふと思い出したかのように尋ねてくる。

「パチュリー様はアリスさんとレミリア様が仲直りしてしまって残念ですか?」
「少し嫉妬するわ……。レミィもあそこまでアリスに思われてたら幸せでしょうに、意地になっちゃって」

 二人の仲直りを祈りながらも、ぼんやりと天井を見上げた。


      ♪


「はぁはぁ……」

 図書館を出ると、記憶を頼りにレミリアの部屋を全速力で目指す。
 途中、妖精メイドを何人か突き飛ばしてしまったが、今はそれどころではない。

「ここの角を曲がれば……」

 レミリアの部屋までもう少しという所で、通路の真ん中に誰かの人影が見える。

「お嬢様は今日は誰にも会わないわ。特に……貴女。アリスにはね」
「咲夜……今日は貴女と遊んでいる暇は無いんだけどね」
「あら、ここを通ると言うの? 貴女はもっと聞き分けがいいと思ってたけど」
「どうしても、行かなきゃならないの。何が何でも通して貰うわ」
「そう……わかったわ。じゃ、通りなさいな」
「へ?」

 そう言うなり、咲夜はあっさりと廊下の中央の道を譲る。
 てっきり、強行突破になると思っていた予想が外れ、肩透かしを食らう。
 力ずくで通る事になると思っていた私は思わず間抜けな声が漏れてしまう。

「い、今なんて言ったの?」
「通って良い。そう言ったのよ」
「私はそれで好都合だけど……立場的にそれで良いの?」
「主人の望みを適えるのがメイドの仕事ですから」
「は、はぁ……」

 これは通した後に後ろからザクッと刺す為の罠なのだろうか?

「油断した所を後ろから刺そうなんて考えてないから安心しなさい」
「本当に?」
「えぇ、どうぞ」

 そう言うと、咲夜は道を譲る。
 廊下の先には大きな扉、レミリアの部屋の扉が見える。
 思わず用意した人形を仕舞いながら、咲夜の横を通らせてもらう。

「じゃ、お言葉に甘えて」
「お嬢様は任せたわよ……」

 通り過ぎる瞬間に何か聞こえたような気がしたので、振り向くとさっきまでいたメイド長は煙の如く消えていた。
 大方、時でも止めて別の場所に行ったのだろう。
 相変わらず何を考えているのか分からない、食えないメイドだ……。
 図書館を勢いで飛び出したものの。いざ、レミリアの部屋の扉を前にすると緊張してくる。
 拒絶されるのではないのだろうか? 
 有無を言わさず、攻撃を加えられるのではないだろうか?
 そもそも話をする事も適わずに逃げられてしまうのではないか?
 様々な憶測が頭の中で浮かんでは消えてを繰り返す。
 ドアノブを持つった手が震えてくる。
 そう、私はレミリアにさらに嫌われるのが怖いのだ。

「何を躊躇っているの。アリス! 今やらなきゃずっと後悔するんだからやるしかないに決ってるじゃない!」

 自分を奮起させると、そのまま扉を開けて室内に飛び込む。

「あ……れ……?」

 意気込んで部屋に入ったものの中は真っ暗でレミリアの姿は見えない。

「どこに行ったのかしら……?」

 室内を見回して、レミリアの姿を改めて探すが、どこにも見当たらない。
 どこかに隠れてこちらを窺っている……という訳ではなさそうだ。
 ガタンッと、後ろで物音がしたので振り返ってみると、大きく開かれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らしている。
 どうやら、風に吹かれて窓が物音を立てただけみたい……。
 そんな事より、レミリアを探さないと……。
 寝ているのかとも思い、ベッドを覗いて見ても姿は無い。
 皺も一切寄っていない、あのメイドの仕事のたまものであろう。

「本当に一体どこに…………まさかっ!」

 ふと、一つの可能性に思い当たり先ほどの窓に駆け寄り、身を乗り出して外を見渡す。が、当然の事ながらレミリアの姿は見えない。

「外に出たのかしら?」

 咲夜がドア前の廊下は見張っていたし、窓が開いている。
 この事を考えると、十分に可能性はあるが。どこに行ったかも分からないのに、広過ぎる幻想郷でレミリアを一人で探そうなんて無茶な話だ。でも……。
 空に浮かんだ月を見てると、レミリアの顔を思い出す。

「やってみるしかないじゃないの!」

 決意を新たに窓から夜空へと飛び出した。

「どこだ……どこに行ったんだろう?」

 勢いだけで飛び出したものの、レミリアがどこに行ったかわからないので夜空の上で思案に暮れる。
 レミリアのどこか行きそうな場所……と、言っても全く見当がつかない。
 段々と焦る気持ちだけが先に行ってしまい、考えがまとまらなくなってしまう。

「あー、もう。レミリアはどこにいるのよ!」

 思わず頭を抱えて大声を上げるも、その返答は無く夜の闇に消えるだけだった。
 ふと、一つだけ。
 一つだけ、全く確証なんて物は無いけどレミリアがいてくれたら良いな。という願望が浮かぶ。
 そこまで私の事を気にかけていると勝手に思うのは、思い上がり甚だしいのかもしれないけど。
 レミリアが行くかもしれない、一つの可能性。
 私の家。という一つの可能性に賭けてみる事にした。


      ♪


 自分の家に戻ろうと思ったのは、ただの思いつき。
 家の前の森の開けた所でレミリアが家の中を覗き込むようにしていたのはただの偶然。
 森の中にいたらわからなかったであろう。
 レミリアを驚かせないようにそっと地面に降り立つ。
 会いたかった彼女の名をそっと呼びかける。

「レミリア」

 声をかけられた背中はビクリと震え、驚く様が見て取れる。
 そんな背中に手を伸ばす為に歩み寄ろうとすると、レミリアは顔も合わせようとしないで飛び立とうとする。

「待って! 私は貴女に酷い事を言ったかもしれないけど――」

 レミリアには言わなければならない事がたくさんある。
 今ここで行かせてしまっては――。

「アリスは!」

 話しかけようとする声を遮るレミリアの口調に思わず言葉を詰まらせてしまう。
「アリスは我儘で気まぐれな吸血鬼のことなんて嫌いなんでしょう? もう二度と貴女の前には現れないから安心して」
 相変わらず顔を向けてくれずに背を向けたままそれだけ言うと、飛び立とうとする。

「ごめんなさいッ!!」



 レミリアが体をビクリと震わせて、一瞬飛び立つのを躊躇ったのがわかる。
 思いを伝えるなら今しかない。

「確かに私はレミリアに対して酷い事を言ったけれど……
 でも、もうレミリアがいない生活なんて考えられなくて――」
「そうね、私もそう。アリスのいない生活なんて、もう考えられない」
「え? じゃあ!」
「レミィ。レミリアじゃなくてパチェみたいにレミィって呼んで欲しいな」
「え?」
「それで今回は許してあげる」
「レ、レミィ……」

 ゆっくりと、しどろもどろになりながらも名前を呼ぶと、顔が熱くなってくるような気がする。

「うんうん。その可愛い反応、アリスはこうでないと。今回のところはコレで許してあげましょう」
 レミリアはクルリと振り返って、ニッコリと笑ってくれる。
「……本当?」
「た・だ・し! 二度目は無いからね」

 すぅっと近寄って来たレミリアは私の顔に指を押しつけるように話しかける。

「わ、わかったわよ」
「それじゃ、咲夜も心配しているだろうし、紅魔館に戻るわ」

「そう……」

 紅魔館当主がメイド長に行き先も告げずに出歩いているのだ、
あまり長い時間館を空ける訳にはいかないだろう。寂しく思いながらも見送る。

「何を言ってるの? アリスも当然来るわよね?」
「で、でも、私の家は目の前に――」
「そんなの関係ないわよ!」

 私の手を取り空へ浮き上がると、つられて私も浮かび上がる。
 そのまま手を繋ぎながら魔法の森を離れ、紅魔館の方へと進路を取りながら飛び続ける。

「あのレミリア……じゃ、無かった。レミィ」
「何かしら?」

 まだ慣れない呼び名を呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑いながら振り向く。

「逃げたりしないから、そろそろ手を離して欲しいんだけど……」
「どうして?」
「どうしてって、なんだか恥ずかしい」
「アリスと手を繋いでると、なんだか嬉しくなってくるんだけどダメかな?」

 レミィは上目遣いで私を窺うように尋ねる。
 そんなレミィを見ると、ぐらりと心が揺れる。

「駄目じゃない……」

 恥ずかしさで熱くなる顔をレミィに見られないようにそっぽを向くも、繋いだ手はそのまま。
 そんなお願いをされたら、この手を振りほどくのは無粋じゃないか。
 レミィはずるいな……。どんどん貴女に夢中になる自分がわかる。
 明るく私たちを照らす、月の光も祝福しているように思えてくる。
 紅魔館までの空中散歩の間、繋がれた手は体温とは別の暖かい気持ちを得た気分だった。


      ♪


「お帰りなさいませ。お嬢様」

 二人で紅魔館の扉をくぐると、早速メイド長に出迎えられる。

「……ただいま」

 レミィはばつが悪そうに咲夜から顔を逸むけて返事をする。

「おかえり。アリス」
「えっ……た、ただいま」
「お嬢様を探し出してくれてありがとう」

 咲夜は私とレミィの繋がれた手を見て満足そうな顔を浮かべる。

「まさか、咲夜。私の部屋にアリスを通したの?」
「えぇ、それが何か?」

 主人に対して、メイドは不思議そうに首をかしげる。
 対する主人は強い口調でメイドを続けて問い詰める。

「誰も通すな。特にアリスは絶対に通さないでと言っておいた筈よね?」
「しかし……お陰でアリスと仲直りできましたよね?」
「そ、それは……そうだけど」

 咲夜に対して強く出たレミィの態度はあっさりと挫かれる。

「えーと、貴女。もしかして私をすんなり通した理由って……」
「さてはて、一介のメイドには何のことかわかりかねますわ」

 そう言うと、咲夜は満足げに微笑むのであった。



◆掲載時の作品コメント
レミリアとアリスの親密度を加速的に上げすぎてしまった作品。
お酒の用法用量は守って、楽しく。

(2011/4/1掲載)