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ついに…この日か。
オレは朝起きてから、胸が圧迫するような感覚をずっと引きずっていた。
わだかまりを吹っ切るように息を何度も吐く。
けれどこの重い気分はどうしても晴れない。

「何やってんだ、オレは…」

柄にもなくオンナのことでこんなにも落ち着かない気分になる自分に
オレは自嘲していた。
オンナそのものに不自由したことはない。
だが、本気で恋愛感情を抱いた相手には不自由しっぱなしだった。

「ったく、情けねぇ…」

オレは時計を見上げ、時間を確認する。
いっそう重たくなる感覚を無視し、
オレは震えそうになる手でステューシーのバッグを引っつかんだ。



こんな時に…。
オレは思わぬ足止めを食らっていた。

「翔耶、どうしたのぉ?」
「ね、暗いよぉ」

(うるさいっ、群がってくるなっ)

内心そう叫んでやりたいが、周りに余計に注目を浴びることは必至だ。
とはいえ、この状況だって十分注目を浴びてる。
さっきから周りを歩いている人間が、ときたま哀れそうに、ときたま憎悪の目で見ながら
オレ達の脇を通り過ぎていく。

…もっと簡単な格好をしてくるべきだった。
アイツに会うからと、多少洒落っ気を混ぜたのが仇に出たか。

ここしばらく、アイツとは会っていなかった。
今日という日を迎えるために、必死にバイトをこなして準備していたのだ。
どうせならサプライズがいいと思い…アイツの家に、連絡なしにいきなり押しかけることを考えていた。

その矢先に、コレだ。

オレは寄ってたかって来るオンナをどう振り切ろうかとため息をついた。
と、その時。

「…!!」

進行方向にいる2人の女。
その片方には見覚えがある。いや、見覚えどころではない。

左腿あたりに白く十字架の絵が描かれている、ぴったりとした黒いパンツ。
黒のアンダーシャツに、白の長袖の薄パーカー。襟の先から肩部分にかけて金色のラインが引かれている。
そして自然な茶色に染まった、肩あたりまで伸びた髪、茶色の大きな瞳。

…この日のために、ずっと待ち構えていたオンナ。

まっすぐと見られて、普段ならば視線を絡めて微笑みたいところだが
今回はその視線にはっきりとした悪意を感じた。
オレの方を見つめて、顔を歪ませる美代。

…って…嘘だろ…!? なんでこんなとこに居るんだ!
オレは、周りにたかっているオンナの存在を一瞬忘れていた。
慌てて抜け出そうとするが、オレの腕が何かに突然引っ張られる。
見れば、たかっているオンナの一人がいつのまにかオレの腕を組んでいるのに気付いた。

「ね、翔耶ってばぁ」

…このアマがぁっ!

オレは頭に血が上って、そのオンナの腕を力任せに振り解く。
慌てて視線を前方に戻すと、美代は隣にいたオンナと別れ、突然背を向けて走り出していた。

「美代っ!!」

誰かがそう叫んだ。
はっ、と口元に手をやる。オレの声だ。
考えるより先に、勝手に口から声が出ていた。
周りのオンナが訝しんでいる。

…ためらったのは、一瞬。
くそったれめ!!
オレは周りにたかるオンナを押し退け、美代が駆け出した方向へ駆け出した。


バカか、オレは…!!
美代の姿を見失わないように走りつつ、オレは自分に毒づいた。
こんな休日、しかも誕生日の前日だ。
美代が家でジッとしてるわけないだろうが…!
あがっていたとはいえ…バカにもほどがある。



「美代っ!!」

薄暗くなりつつある公園に辿り着いたオレは、先に見えた人影に向かって叫んだ。
人影は肩を一瞬震わせる。

確信を持ったオレは全力でそこまで駆けた。
すでにオレは息が上がっていて、肺の奥から少し荒い息をしていた。
心臓がばくばくと鳴っている。
…それは、走っただけの理由ではない。

オレに背を向けたそのオンナは、ゆっくりと振り向く。

「翔…耶…」

内心、人違いであって欲しいと思っていた。
もちろん、そんなわけはなく、振り返ったそのオンナの顔は、声は、
間違いなく美代のものだった。
…オンナにたかられているところを、見られた。

「…何やってんだよ、こんなところで」

オレの声は落ち着いていたが、内心はぐちゃぐちゃに混乱していた。
間違いなく、誤解されているだろう。
しばらくの間、オレは”事情”のせいで美代と会ってない。
自分の腕を止めるのに、オレは必死だった。
今すぐ美代に駆け寄り、その体を抱きしめてやりたい衝動を抑えつつ。
ゆっくりと美代に歩み寄る。

…けれど。

美代はオレから逃げるように…一歩、身を引いた。
背筋に緊張と、恐怖が走る。

「翔耶こそ…翔耶こそ、あんなところで何やってたの!?
 大学が忙しいからしばらくそうそう会えない…って、言ってたのに。
 なのに…あたしに嘘ついて、あんなところでオンナと遊んでたっていうワケ!?」

やっぱり…誤解されてるか。
ムリもないとは思いつつ、オレは焦る気持ちを抑えて息を吐いた。

「浮気か何かとでもおもってんのか?」

「違うんなら、何だって言うの!」

「そんなんじゃねえからな」

「だから、違うんなら何なのよ! 何であんなとこに居たの!?」

目に怒りと悲しみを湛えて美代は叫んでいた。
その目に圧倒されて、オレは思わず押し黙った。

…ちくしょうめ、あのオンナども…!

うまく説明できない自分を呪いつつ、怒りの矛先をたかっていたオンナどもにぶつける。
…どうする? どうすれば美代の誤解を解くことができる?
全部、説明するか…いや、ダメだ。そんなことしたら今までの苦労が水の泡だ。
でも、このままではどっち道そんな苦労を気にかけている場合じゃない。
美代を、このまま失ってしまいたくない。一体、どう説明すれば…。

♪〜♪〜♪♪〜♪〜♪♪

突然、懐から流れた聞き慣れたメロディが流れた。
はっとオレは我に返る。

慌てて携帯を取り出して、画面を見ると
そこにはオレが注文した”店”からの電話だった。

「はい! はい…そうですか! わかりました、今から行きます!」

電話を切り、オレは美代に向き直って早口に言う。

「美代、お前いったん家に帰ってろ! いいな!」

オレは、そのまま背を向けて走り出した。

このとき、オレは美代がこのまま素直に家に帰るわけがないことなど、考えていなかった。
早く”それ”を美代に見せ、あの場所に連れて行ってやりたい。
それだけしか考えていなかった。




『お客様のおかけになった電話番号は、電波が届かないところにあるか、
 電源が入っておりません…』

ピッ

「…くそっ!」

オレは携帯を閉じて、目の前にあるハンドルに拳をたたきつけた。
そこから鈍い痛みが伝わってくるけれど、そんなのは関係ない。

…あの時、何も言わずにただ単に”家に帰ってろ”としか言わなかったことを後悔した。

店で、例のものを受け取り美代に電話をかけたが、一向に出ない。
時間を置いて、美代のアパートに向かいながら何度も電話を入れるが
ちっとも出る気配がなかった。
気持ちだけが焦る。
車で美代のやつのアパートに辿り着くも、美代は居ない。
合鍵で部屋の鍵を開けて入ってみても、もぬけの殻だった。

…そしてついに、電話は繋がりすらしなくなった。

焦りと…恐怖。
オンナは自分から振るオレだったが、アイツにだけは離れて欲しくなかった。
やっぱり、話しておくべきだったのか。
胸から苦しいものが喉にこみ上げてくる。
必死に頭を振り、その感覚を取り除こうとするが
振っても振っても湧いてくるその感覚は一向に取れなかった。

「…だああっ!!」

オレは喉から声を絞り出しながら、拳を掌にたたきつけた。
こんなことしていてもはじまらない。

オレは美代の友達関係を洗おうとして…手を止めた。
…美代の友達の番号、誰も知らねえじゃねーか…。
携帯を握った手から、思わず力が抜ける。
両手をだらりと下げたまま、オレは宙を仰いだ。

周りが余計なオンナだらけなので、オレと美代が付き合っていることは周りには一切隠している。
オンナの嫉妬で、美代に何をするかわからないからだ。
オレのせいで、美代に迷惑をかけるわけにはいかない。
なので、美代の口から友達の話を聞くことこそあれ、番号までは知らない。
けれど、そんな判断をした結果がコレだ。

「…仕方ねー」

これだけはしたくなかった。
これをすれば、自分の情けなさを証明することになる。
けれど、そんな誓いも美代を失うことに比べれば、よっぽど軽い代償だ。

そう思ってしまえば、決断は早い。
オレは携帯を持ち上げ、番号を押す。

「…親父か? 悪い、頼みたいことがあるんだ…」




オレの手元の紙に、数人の名前と携帯の番号が書いてあった。

親父…三加和(みかわ)の会社の持つ力。
こういう時、金の力という奴が恐ろしく感じる。
個人情報には守秘義務があるというのに、こうもたやすく情報を掴んでしまえる。

こんな、馬鹿げた頼みを聞く親父も…洒落が効いてる。
会社のトップとして、息子の頼みとはいえこんなことをするのは愚の骨頂としか思えないだろう。
個人情報を、息子とはいえ他人に漏らすのは会社の沽券に関わるし、違法ともなる。
この息子で…この親父ありってとこか。

とまれ、ここまで来てしまえば後には引けない。
オレは、もっとも親しいと思われる今宮 佳奈美(いまみや かなみ)というオンナに電話をかけることにした。
佳奈美…”カナ”。美代本人の口からも良く聞く名前。
番号を押して、しばしの間待機音が続く。

『はい』

受話器からかわいらしい声が聞こえてくる。

「もしもし、今宮佳奈美さんですか?」

『…っえ!? えと、あ、はい、そうです…』

電話の相手が驚く声が聞こえる。
無理もない。電話の相手は見知らぬ男、それもフルネームを言い当てたのだ。

「三加和、という者です。突然連絡して申し訳ないのですが、
 島津さんはそちらのお宅にいらっしゃいますでしょうか?」

『え! えっと、えっと…』

…突然のことに慌てると何が何だかわからなくなる、引っ張られたいタイプのオンナだな。
オレは口調や態度でシンプルに性格を分析していた。

この様子だと、美代はゼッタイそこに居やがるな…?

と、突然布擦れの音が聞こえるや、

『もしもし。どちらさまでしょうか?』

…一瞬でオレは体全体がこわばった。
先ほどまでとはまるで違う、明らかな男の声。

美代…は、男のところに居るのか…?

一瞬でその考えを振り切った。
佳奈美、というオンナは美代の名前は口にしていない。
よほどの地獄耳でもない限り、この男はオレの電話の内容…美代を捜している、ということはわからないはず。
となれば、こいつが美代の別の男、ということはないだろう。
おおかた…。

「…三加和といいます。失礼ですが、そちらは…」

『…え? あ、はい、僕は佳奈美の彼氏ですが…』

予想通りの答えが返ってきた。向こうも何かを警戒しているような声だった。
とりあえずこの男が美代と深い関わりがあるわけではないことは確実となった。

だが…不安は、吹っ切れない。
美代がこいつに流されない、という保障がどこにある?
特にこいつは、電話でのこの態度、はっきりとした口調…。
自らアクションを起こす行動力のある男…さしずめ、オレと似たような人種。

…はっきりと知覚した。
オレは、この男に嫉妬している。
オレ以外の男が美代の近くに居るだけで、そいつをぶっとばしてしまいたくなる。

…オレは、心を落ち着けるべく息を吐いた。
(最近、こればっかりだな)
気をとりなおし、オレは口を開いた。

「美代は…島津 美代は居ますか? 彼女を捜しているのですが…」

『あ、そうなんですか。はい、居ますよ』

「わかりました。しばらくたったらそちらにお伺いしたいので
 彼女をそこに引き止めておいてください」

『はい、わかりました。そうしておきますね』

「お願いします。…失礼します」

『それでは』

ぴっ

(…すぐ行こう)

ひとまず美代の居場所はわかった。
それでよしとしておかないと…。
焦る気持ちでオレはすぐさま車のキーを回し、エンジンをスタートさせた。




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