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「なんか祥子ちゃん、最近持ち物派手だよねぇ」

あたし、岩野 祥子(いわの しょうこ)の隣でそう話しかけてきたのは、
あたしの友達の藍田 美紀(あいだ みき)。

ちょうど席のすぐそばに置かれている、小ぶりのスピーディのバッグを見て言っている。
さらにあたしの指にはめられている、ピンクダイアのプラチナリングも。

「え? ああ、うん」

突然聞かれて、要領のない答えしかできない。

「もしかして、カレシからのプレゼントだったりして?」

ぐっ。

図星を突かれて、あたしは口をつぐんでしまう。

「な〜に〜、そんな太っ腹なカレシが居るの? いいなぁ〜」

「ちょ、ちょっとミキ! 声大きいよぉ」

「照れちゃって! まーったく、うちのカレシってば全然甲斐性なしな男だしさぁ」

「で、でも優しい人なんでしょ?」

「そりゃそうだけど、優しいだけじゃねぇ〜…なんかこう、引っ張ってくれないっていうの?
 うちとしては、もっとリードして欲しいって言うか…」

ミキがぶつぶつと愚痴をいい始める。
あたしはちょっとほっとして、製図の課題に戻ろうとした。

「で、どんなカレシなの?」

「…っ!」

突然話が戻って、あたしは線を引こうとしたシャーペンを大きく逸らせてしまう。

「ちょ、ちょっとミキ!」
「あっははは、ごめんごめん〜」

さほど悪びれた様子も無く、ミキは謝る。

「そんな太っ腹なカレシってことは、社会人だったりするの?」

「…い、一応社会人・・・かな?」

多分、社会人という部類に入ると、思う。



…彼の『あの職業』が、社会人に含まれるのであれば。



トゥルルルル…トゥルルルル…

受話器に呼び出し音が鳴り響く。
唐突にその音が途切れ、聞きなれた――正確には、響きだけまだ若干聞き慣れない声が聞こえる。

『はい、千尋です』

「あ…もしもし、巧(たくみ)?」

『…祥子(しょうこ)か?』

若干媚を売るような声から、一転して聞きなれた声へと変わる。

「うん。…ごめん、電話大丈夫だった?」

『そう思うんだったら、メールにしとけばよかったのに』

受話器の向こうから、彼の苦笑する声が聞こえた。

「そういえばそうだよね」

あたしも苦笑した。「でも…巧の声が聞きたかった」

『今晩、来るか?』

「うん、行きたい」

『今日はこっちが遅くなりそうなんだ。”龍宮”のマサヤさんの誕生パーティーで』

「あ、そうなんだ…いつ位に来れるの?」

『いや、わからないな。正直…いつ解放されるか』

少しだけため息を付く音が聞こえた。

『なるたけ急ぐ。先に店に行ってて適当に時間を潰しといてくれ』

「うん。わかった。…待ってる」

『ああ。じゃあな』

「うん…」

『…』

「…」

『…』

「…どうして切らないの?」

いつまでたっても切らない相手に、不思議に思ったあたしは聞いてみた。

『電話が切れた後の音、なんか寂しいとは思わないか?』

「…? だったら、切ればいいのに」

『君にそういう思いをさせたくないんだよ』

彼の物言いに思わずどきっとした。
こういう彼の言い回しは、さすがだと思う。
どんな人であっても…胸をときめかせるような物言いは。

「じゃ、あ…切るね?」

『ああ、また店で』

「うん」

ぴっ、と音がして、あたしは通話終了のボタンを押す。

「…ふぅ」

あたしは製図室のすぐ外にある廊下で、わずかなため息をついた。
切る側がこっちであっても、ちょっと寂しいという気持ちはやっぱり、ある。

(巧…じゃなくて、”千尋さん”は、他の女の人にもああいうことを言ってるのかな)

落ち込んでしまいそうな気分を入れ替えて、あたしは製図室に戻った。



ようやく今日までに仕上げなければならない課題を終わらせて、
あたしは急ぎ足で製図室から出た。

工学部っていうのはやっぱり…すごく疲れる。
もうあたしも2回生だけど、まだこの製図には慣れない。
確かに、製図をしているのは楽しいんだけど…手と目が極限的に疲れる。

廊下から外に出ると、既に外は真っ暗になっていた。
時計を見れば、夜の10時近くになってしまっている。
(…巧はもうお店に戻ってるのかな)
急ぎ足でバス停まで掛けた。

早く、会いたい。



「こんばんは、祥子さん」

ホストクラブ”ムーンヴィレッジ”の、ステンドグラスっぽい装飾の入った扉を開けて
中に入ったあたしを出迎えてくれたのは、
近くのテーブルで女の人達の接客をしていたホストの一人。

黒髪の先端だけを少し金髪に染め、左の耳にだけピアスをつけている。
新人っぽい雰囲気は出しているけれど、顔立ちも整っていて芸能プロダクションにでも入っていそうな人。
あたしが、サークルの知り合いにこのホストクラブに連れてこられた時、真っ先に応対してくれた人だ。
確か…幸也(ゆきや)さん、という名前だった。

「こんばんは、幸也さん。た…千尋さんは、いますか?」

思わず”巧”と呼んでしまいそうになり、慌てて言い直す。

「千尋さんなら、お出かけ中ですよ」

「あ…そうですか」

まだ、誕生パーティーが終わってないんだ…。
ちょっと落胆したあたしを見て、幸也さんがくすっと笑った。

「すみませんね、せっかくのご指名なのに。代わりに僕が、あなたのお相手をしますよ」

「え…でも、幸也さんにはお客様が」

「コウさん、すみませんけど、そちらのお客様たちをお願いできますか?」

幸也さんは、そばに歩み寄ってきたホストの一人に話しかけた。

「ああ、わかったよ。じゃあ幸也、そちらのお客様をよろしく」

「はい」

そう言うと、彼はあたしの手をそっと握って別のテーブルへと先導してくれた。




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