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「えっと…本当に、大丈夫なんですか?」

あたしは飲み物を注文しながら、ソファーで隣に座っている幸也さんに聞いた。
幸也さんはその甘いマスクと優しげな口調を武器に、すでにムーンヴィレッジでもかなりの人気ホストだ。
そんな人が今、あたしのテーブルに居る。
…あたし「一人」しかいない、テーブルに。

「いいんですよ。僕はまだあまり慣れてなくて、大勢の人達の相手はちょっと厳しいですからね」

幸也さんは形の良い眉毛を上げ、微笑みながらそう言った。

微笑んだ顔は、さすがは人気ホストって感じで、やっぱりかっこいい。
ただ単にかっこいいってだけじゃなくて、柔らかそうで、かつ力強さを感じさせる微笑みだ。
…そんななので、店に入ったときの様子から見ても、慣れてないようには見えなかった。

「モスコミュールです」

ウェイター風の人が2つのグラスをこちらのテーブルに持ってきた。
それを受け取ろうとしたあたしよりも早く、幸也さんがその2つのグラスを取る。
そしてその片方を、あたしに差し出した。

「あ、ありがとう…」

こういう、あまり意味はないけれどマメな動作というのは、さすがはホストという感じがする。
戸惑いながらも受け取り、幸也さんとチン、とグラスを打ち鳴らした。
さっぱりとした口当たりのカクテルが、あたしの喉をするっと通り抜ける。

「…おいしい」

思わず口に出していた。

「モスコミュールを飲まれるのは、初めてですか?」

幸也さんがあたしの顔を覗き込みながら訊いてきた。

「あ、はい…あまりカクテルを飲むことはないですから」

そう答えて、あたしはもう一口カクテルを口に含む。

「本当にさっぱりしてる…あんまりアルコールも強くないのかな?」

「強くないわけではないんですけどね」

幸也さんが笑いながら言った。
彼は既に、そのカクテルをグラスの半分ほどまで飲み干している。

「そうなんですか? こんなに、さっぱりしてるのに…」

「そう感じるだけですよ。これでも、ウォッカベースですから」

「…ウォッカベース…?」

あたしは、お世辞にもあまりカクテルには詳しくない。
このモスコミュールというのだって、幸也さんに薦められたから頼んだものだ。

「強いお酒から作ってるって意味ですよ」

あたしのわけわからない、という様子を見てとった幸也さんが言った。
その強いお酒を、彼はかなり速いペースで飲んでいる。

「一時は…いえ、この話は止めておきましょう」

続けようとした幸也さんが、突然話を切った。

「え? どうしてですか?」

「あまり知らない方がいいでしょうしね」

彼が意味ありげに微笑みながら言った。

「そんな…余計気になりますよ」

「気になりますか?」

くす、と笑うと彼は突然あたしの耳元に顔を近づけた。
急に形の整った顔が迫ってきて、あたしはどきっとしてしまう。
彼の首筋から、かすかにさわやかな香りが漂ってきて、あたしの心臓をさらに早鐘にさせる。

「…」

「えっ…!」

しかし、彼の囁いた内容に、あたしはさらに赤面してしまった。
そんなあたしの様子を観察していた幸也さんが、してやったりという顔で

「驚きましたか?」

「お、おどっ…!!」

あたしは要領をなくして、まともにしゃべることすらできなくなった。

「ですから、知らない方がいいと言ったのに」

くすくす笑いながら言う目の前の彼は、ゼッタイに確信犯だ。
あたしが気になるのを見越して、あんな言い回しをしたに違いない。

「あ、千尋さん!」

と、突然入り口の方から女の人の声が上がった。

慌てて振り返ると、入り口から巧が…いや、”千尋さん”が入ってきたところだ。
その姿を確認して、あたしの胸が締め付けられる。

金髪の若干立てた髪…形良く切りそろえられた眉…
すらっとした細身の長身…やはり優しさと力強さを兼ね備えた『紫』の瞳…

幸也さんもかっこよかったけど、彼はその更に上を行っている。
”千尋さん”…このホストクラブ”ムーンヴィレッジ”のNo.1ホスト。

「千尋さん、待ってたんですよ! こっちのテーブルに来てくださいよ」

声を上げた女性が彼に向かってそう言ってきた。
”千尋さん”はにこっと笑い、

「すみませんね。先約があるので…それが済んだら、またゆっくりと」

甘いチャーミングな声でそう言った。
あたしの胸の奥が、ちょっとズキっとした。

「…そうなの…じゃあ、後でお願いね?」

「ええ」

そう言って”千尋さん”はこちらの方へ向き直った。
その瞬間、彼が目を見開いた。

一瞬目線が合って、思わず目を逸らせてしまう。

「…千尋さん、来ましたよ?」

幸也さんがそう囁いてきた。

(ど、どうしよう…)

こんな状況下で、どうやって”千尋さん”があたしに会えるというのか。
注目されてるのに、彼のところになんて…行けない。

なのに…。

「祥子さん」

”千尋さん”は真っ直ぐにこちらにやってきて、あたしに声を掛けてきた。

「ち…千尋さ…」

あたしは驚く間もなく、”千尋さん”に腕を掴まれて立ち上がらされた。
口元は笑っているけれど、目が笑ってない。

(…怒ってる…?)

なんとなくそう思った。

”千尋さん”は鋭い目線を一瞬幸也さんの送った。
その目線を受けて、幸也さんはキョトンとしている。
その目線をすぐに柔らかい「営業スマイル」に変えた”千尋さん”は、

「すまない、幸也…祥子さんを借りていくよ」

「あ、はい」

そしてあたしの手を引っ張って、店の奥の方へと連れて行かれる。

「え、ちょっと、こ…千尋さん」

「何?」

周りに聞こえないように、あたしは”千尋さん”に訴える。
さすがに、こんなに注目されているのにNo.1ホストを独占してたら…。

「こ、ここじゃ…」
(周りから注目されちゃう)
そう思って続けようとした。
けれど、彼はにっこりと微笑んであたしの耳元で囁く。

「VIPルームに連れて行ってあげるから、大丈夫だよ」

「VIPルーム…?」

「二人っきりで話せる、個室のこと」

こ、個室って…!!



「さて、と…」

バタン、と個室の扉を閉めるや否や、”千尋さん”の声色が変わる。
さきほどまでの色香のある艶っぽい口調ではなく、普段の彼の声。

「どういうつもり?」

彼が不機嫌さを隠しもせずに、あたしをにらんできた。

「どういう…って…?」

彼のいっている意味がわからず、あたしは問い直す。
仏頂面のまま彼はずんずんとあたしの方へと歩み寄ってきた。
思わず下がる。

「ちょ…千尋さん…?」

「個室だから誰も見てない…ここで僕をその名で呼ぶな」

”千尋さん”はこのホストクラブ”ムーンヴィレッジ”での彼の源氏名。

「…巧…」

彼の「本当の名前」をあたしは声に出す。

梅林 巧(うめばやし たくみ)。それが彼の本当の名前。

「どうして、祥子が幸也と一緒に居たの」

巧はあたしの腕を掴み、あたしを強引に壁に押し付ける。

「え…だって、巧がお店で待っててって…」

「…」

巧が押し黙った。

そのままあたしの腕を解放すると、彼はあたしに背を向けて離れた。

「巧…?」

巧は部屋の中にあるソファーに腰を下ろした。一言も口を開かなくなる。
あたしは恐る恐る歩み寄って、彼に近づいた。
巧の横顔を見て、思わず背筋が寒くなる。

(…やっぱり、怒ってる…)

今まで見たことない、巧の険しい表情を見て…
あたしはどうしていいか、わからなくなった。
ソファーに座りたくても、座っていいものかわからない。

巧の思っていることが、わからない…。

あたしが戸惑っていると…

「きゃあっ!?」

突然、巧があたしの腕を掴んで、そのままあたしを彼の胸へと押し付けた。

「悪い…」

あたしの耳元で、巧が囁く。思わず彼の顔を見上げた。
すごく切なそうな表情で、あたしを見てる…。

「祥子の前だと、僕は本当に子供みたいになる…」

「え…? んんっ…!!」

彼があたしの唇を奪う。
そのまま巧は舌をあたしの唇の中へと…。

「ん、ふ、んぁ…」

自分の舌が彼の舌に触れると、身体がぴくんっと反応した。

巧が好きだよ。
涙が溢れる。
好きで好きでどうしようもない。
心の中が巧でいっぱいで私の心の器が彼への想いでいっぱいになってもなお、
気持ちは溢れて零れ出す。
溢れる想いは貴方に掬い取って欲しかった。

ちゅっ

巧が私の舌を吸い上げた。
絡んだ舌が解けていく。

「…巧…?」

巧があたしの体を解放した。
突然失われた彼の体温に、急に部屋の中が寒くなったような気がした。

「巧」

思わずあたしは彼の腕に抱きついていた。
ふんわりとした、カルバンクラインの香水の香りと…巧本人の香りがする。
いつもならば、ちょっとだけ女性用の香水の香りも混じっているのだけれど…。
なんだかそんなちょっとしたことが妙に嬉しくて、おもわず目頭が熱くなってしまう。

(…だいすき)

あたしは彼の体温を感じながら、心の奥底で呟いた。

「…お店で待っててと言えば、こうなることは予想すべきだったのにな…」

苦しそうな声で、巧が言う。

「情けない男だ…同じホストと喋っていた君を見ただけで、こんな簡単に嫉妬するとはね」

巧が…彼に、幸也さんに嫉妬…?

「え…どうして? 幸也さんだって、ホストだよ? 仕事なんだよ?」

「わかってる。…そんなことはわかってるのに、この感情を、抑え込めない…」

巧…。

ホストクラブのNo.1ホストが、新人のホストである幸也さんに嫉妬してる。
あたしのために…嫉妬してる。
なんか…巧

「かわいい…」

「は?」

思わず口に出してしまった心の声。
巧がぽかんとした表情であたしを見つめ返してきた。
嫉妬してきた巧が、妙に子供っぽくてすっごくかわいい。

「巧…大丈夫だよ。あたしは、巧しかいないから」

ちゅ、と彼の唇にキスして、彼の耳元で囁いた。
あたしのために嫉妬してくれた、ということが…不本意だって分かってるけど、とても嬉しい。
彼があたしだけを見てくれているのが嬉しい。
胸がいっぱいになって、温かい…。

(…あたしって、口下手だね)

こんなに彼のことを思ってるのに、彼のように特別な言葉で伝えることができない。
自分の口下手っぷりを、今回ばかりは呪った。

「…どうして、君はいつも僕の心をそこまで揺さぶろうとするのかな」

巧が口を開き、あたしの体を抱きしめてくる。

「そんなこと言われると…抑え切れなくなる」

「ん、ふぅっ…」

巧がまたあたしの唇を奪う。
くちゅくちゅと音を立てながら、あたしの舌を蹂躙した。

「ふぁ、ぁあん…」

あたしの歯茎を、舌の裏を、上顎を…彼の舌が愛撫する。
それに答えようと、あたしの舌が彼の舌を捉えた。
互いの舌を絡めながら、あたしたちは自らの唾液を交換する。
彼から送り込まれた唾液を、あたしはこくっと飲み干す。

「ん…」

あたしたちの唇が離れた。
唇の端から、すーっと糸が引かれる。

「女性のことをお客としてしか見たことがなかったのに…
 君だけはお客としてみることができない。他の男にも、見せたくない」

彼が本当に切羽詰ったような声で言った。

「今すぐにでも、祥子を襲いたいけど…ここじゃ、ダメだ」

はぁっと切なげな息を吐いて、あたしの体をより強く抱きしめた。
彼の腕に押さえつけられて、ちょっと苦しいけど…
あたしも、足りない精一杯の力で彼を抱きしめた。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。

「巧…」

「ホストとしてじゃなく、千尋としてじゃなく…”梅林 巧”として、君を抱きたい」

彼の腕があたしから離れた。
巧の体温が、名残惜しい…。

「呼んでおいて、悪いけど…今日はやっぱり、君の部屋で待っていてくれ。
 なるべく…早く、終わらせて君に会いに行く」

「…うん」

巧があたしの唇にフレンチキスをした。






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